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2.4億円支払いで和解=元レストラン店長過労訴訟−鹿児島(時事通信)

 鹿児島県鹿屋市の元レストラン店長松元洋人さん(35)が寝たきり状態になったのは、長時間の時間外労働が原因として、松元さんと両親が経営会社の「康正産業」(鹿児島市)を相手に損害賠償などを求めていた訴訟で、3日までに、会社側が約2億4000万円を支払うことなどで裁判外の和解が成立した。
 原告側代理人の松丸正弁護士によると、過労死・過労傷害の損害賠償の和解額としては最高額。和解には同社の謝罪も盛り込まれたという。
 鹿児島地裁は2月、松元さんが2004年に低酸素脳症を発症し、寝たきり状態になった1カ月前の残業時間について176時間だったなどと認定。同社の安全配慮義務違反などを認め、損害賠償や46年分の介護費用など約1億9500万円の支払いを命じていた。
 両親は松丸弁護士を通じ「会社が陳謝し、判決の下した厳しい判断に服す意思を示したので、和解で解決した。2度とこのようなことが生じないよう労働条件改善を求める」とコメントした。 

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火事だ!中学生が女児救出、でも犬にかまれた(読売新聞)

 25日午後3時25分頃、大津市国分、無職杉山進さん(72)方から出火、木造2階建て約100平方メートルを全焼した。

 杉山さんの孫の5歳と8歳の女児2人が取り残されたが、近くにいた同市立北大路中学校3年の森健太朗君(14)と山本昂佑(こうすけ)君(15)が救出した。女児2人にけがはなかった。

 大津署の発表では、杉山さんは8人暮らし。2階部分が強く燃えていた。出火当時、家には杉山さんの妻(79)ら計5人がいた。

 森君と山本君は、別のクラスメート2人と近くで話をしていた際、黒煙が上がっているのを発見。全員で手分けして近隣の住民に知らせた一方、森君と山本君が「誰かいるかもしれない」と玄関を開けて中に入り、女児2人を抱きかかえて外に出たという。

 森君は、杉山さんの飼い犬に手をかまれて軽傷を負った。森君は「無我夢中だった。みんな無事で何より」と振り返り、山本君も「気付いたら体が動いていた。人助けに協力できてよかった」と話していた。

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雑記帳 “究極”のすし折り登場 18店の定番詰め合わせ(毎日新聞)

 京都市下京区の京都高島屋で24日始まった「京の味ごちそう展」に、市内の老舗すし店18店の定番や自慢の一品を詰め合わせた“究極”のすし折りがお目見えした。

 発足60周年を迎えた京都寿司(すし)のれん会が企画。「いづう」のサバ姿ずしや「伊豫又(いよまた)」のふくさずしなど各店が1種類ずつを持ち寄り、計18種類の味が3501円で楽しめる。

 3月2日まで1日30個限定販売。しかし午前中で売り切れる初日の人気で25〜28日は50個に変更した。担当者は「遊び心優先で、もうけはなし」と気っ風のよさは江戸前風。【山本直】

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中宮寺

表御殿中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。宗派は聖徳宗に属す。山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされている。歴史中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』[1]や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ、間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。[2]中宮寺は平安時代以降衰微し、鎌倉時代には中興の祖とされる信如によって復興が図られた。信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っている(門跡寺院とは、代々皇族、貴族などが住持する格式の高い寺のこと)。伽藍創建当時の中宮寺跡は現境内の東方約400メートル、斑鳩町法隆寺東二丁目にあり、国の史跡に指定されている。この地はかつての地名を大字法隆寺字旧殿(くどの)といい、伽藍跡とおぼしき土壇が残っていた。1963年(昭和38年)より石田茂作らによる発掘調査が行われ、金堂と塔の跡を検出。大阪の四天王寺と同様に、金堂を北、塔を南に並べる伽藍配置であったことがわかっている。ただし、講堂、回廊等の遺構は未検出である。この伽藍の特徴の一つは、金堂と塔の距離が近く、軒を接するように建っていたと推定される点である。塔の心礎は地中に深く埋める形式とする。これは四天王寺、飛鳥寺、法隆寺などの塔心礎と同様

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